おもろい話<その2>

<その2>おもろい話
その2の⓵
 滋賀大学経済学部は元は彦根高等商業学校(彦根高商)で、全国では小樽高等商業学校と神戸高等商業学校の三つが有名です。大学2期校です、新制大学の一つ。この頃は大した倍率では無かったですが、最近は相当上がってるようですね。
 愛知川町字石橋から3名が受けて3名ともに合格しました、この頃は大学へ行くこと自体が珍しいことで、周囲は驚いていた様です。私立の大学を受けるなんて、自分達貧乏人には考えられないことで、3人ともに国立だけでした、併願なんて言葉も知らない、到底考えらえない状況でした。自分は不合格だったら、小樽の呉服屋に丁稚に出ることに決まっていたそうです、親父がそう言ってました。親父は明治生まれで、丁稚からの叩き上げですから当然でしょう。そういえば、彦根東高校は進学校で、そのころの愛知中学からは初めての高校で、石橋出身の3名が彦根東高校でした。
 入学してすぐに、剣道部に入り、道場で竹刀を振る毎日でした。昭和31年4月です。そしてその年、全国の大学選手権大会で全国優勝しました。これはダークホースとはみられてましたが、凄いことです。それ以来64年になりますが、今は全くかすりもしません。優勝なんて夢のまた夢です。これが実現したので、三日三晩飲み続けでした。
 身体を壊して剣道部は辞めて、今度は自治会に入りました。親父とは喧嘩をして家を出、寮に入ったり、下宿生活をしたりして、遊び歩いてました、無論勉強などしてません、授業は居眠りか、休んで囲碁ばかり打ってました。
その内、自治会に入り、安保反対などと赤旗を振ってデモばかりやってました。彦根市から米原市まで歩いたり、市内をデモったりしてました。石橋から約1時間で通えるのに、向こう見ずでした。但し、食い物はひどいもので健康を害しっぱなしです。めちゃくちゃな生活でした。汚いパン屋で食パンにマーガリンを温めて筆で塗って食うだけでした。体を壊し、その後の人生を数十年間に亘って狂わせたものでした。挙句の果て、30台で頭が真っ白となり、50台で右手が不自由となり、同時に首が傾いたままとなりました。怖いですね、もう遅いよね、馬鹿!!!

②そんな奴でも、何とか卒業出来て、就職、食えれば何でもよいと言うので、無責任な就職でした。何屋さんか知らずに入社しました。その時は株式会社塚本商店で行先は抽選で決まるのでした。幸か不幸か抽選で東京本社と出ました。夜行列車で生まれて初めて東京へ来て、落ち着いたのが三鷹寮でした。川上さんという先輩の案内で、連れられました。どこかの大金持ちが使っていた別荘を塚本が買って、寮にしたものです。多数の部屋があり中庭に沢山の樹木がある平屋建て、古いが広い建物でした。二人部屋で荷物は一人一人に2段のタンス(備え付け)一つと布団袋(親父が呉れたもの)一つだけでした。
会社へ行くと研修らしいものがあって、配置は東京本社倉庫部でした。それを聞いてがっかりしたのが親父でした。親父の世界では東京の塚本さんと言えば、由緒ある天下の呉服問屋です、200年近くの歴史があり、滋賀県出身の名家です。本部は滋賀県にあり、仕事をする営業部門が東京にあると言う形でした。その中で一番は呉服部門でしたが、息子の私の行先は倉庫部です、親父ががっくりするのも当然でした。親父は明治生まれで、大正ごろに東京へ丁稚奉公して、関東大震災にはご飯の入ったお櫃を抱えて日本橋界隈を逃げ惑った人です。根性が違いました。その時点で自分は諦められたようです。後年の事実ですが、石橋の店の跡継ぎは弟でした。親父は。自分に対し正座してそれを告げました、厳しいでしょう、これが現実です。

③この倉庫事業部とは、数年前に多角経営を目指して、色々は業種の仕事を併営したのです。部長は児玉さんと言う年寄りでして、有名な三井倉庫の幹部だった人を引き抜いて事業部長に据えた人です。処が、滋賀県人、しっかりしてまして、実権を握られないように、部下に大変な暴れ馬を任命したものです。oさんと言う方で、まだ25歳くらいですが、頭が切れるスポーツマン、をすぐ下に付け、この人(Oさん)を陰に呼んで、こう因果を含めました。
あんたは滋賀県人、事業部長はよその人で借り物だ、あんたが実際の事業部長と考えなさい、全て任せるから好きにやってよいとの、経営のトップからの指示、命令でした。彼は飛び上がるほど喜びましたが、でも辛い毎日でした。事業部長は70歳くらいの仕事の大ベテランです、25歳の彼は向こう見ずの若者、これは修羅場です。このoさんの下に付いたのが自分です。22歳の東も西も分からない新人です。この向こう見ずは独身で暴れん坊、指示に従わなければ殴ってでもやらせるという、頭の切れる、体力の優れた、エース級の硬派でした。
この人と間もなく大喧嘩しました。彼が明日から会社へ来るなと言うのでわかりましたと言って出社しませんでした。この三鷹寮の部屋の廊下を挟んで隣に、このoさんが居たのです。挨拶だけはしましたが、会社へは出社しませんでした。数日して彼が洗顔中の自分に、小泉さん、どうやってる、会社の飯は旨いよと猫なで声です。
それまでは小泉君とか場合によると呼びつけだった人がさん付けです。まあ向こうが折れたので翌日からは出社しました。

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