愛の共同体実現へ始動開始が嬉しい

先日の清仁牧師先生のお話に出ました、愛の共同体の実現へ始動開始と、これが嬉しい。自分は以前からそれの「もどき版」の実現を望み、今まで何回も表明してきました、但し20年ほどかけてという条件です。これが早まりそうです。嬉しいじゃありませんか。
出来る限りの協力をしたい。

それとも関連はあるが、尊敬されるべき、素晴らしい人のことを思い出したので、ここに記したい。
今も存命中だと思うので、名前は伏せたい。
今から25年くらい前ですが、そのころ自分は練馬家族会に所属しており、その活動の一環で、精神科医の話を聞いていた。内容はつまらない話だったが精神障碍者の平均寿命について、その医者が確か55歳と言ったので、すかさず質問したのを覚えている。55歳の原因・理由は何かという質問でした、彼の説明はあいまいであり、我々を説得できるものでは無かった、多分どこかの文献の意見を借りた発言だったと思う。
自分は、原因は服用中の薬の弊害ではありませんかと、話したが曖昧な返事だった、そりゃ言えないだろうことを、承知の上での質問でした。

そして、その質問について、後日自分にご意見を頂いた方がおられた。そのお母さんがYKさんです。やはり練馬家族会に所属しておられましたがおとなしい方でした。
このYKさんと何度も話し合い、ご自宅へも何度も訪問しました。彼女の息子さんが精神疾患ということで苦労しておられました。
その息子さんは優秀な方であり、工学院大学を1年から3年まで首席で通してましたが、4年生の時に電車の中で、乗客が倒れた事故があった。処が同じ車両の乗客の中で、誰もその倒れた人を介抱せず放っておかれたのであった。それを目撃して彼自身がショックで精神病になってしまったのです。
それで締め切られた車内が苦手になり、乗り物で締め切られるのを、耐え切れなくなり、自分のトイレ使用中も、ドアを閉められなくなってしまいました。
当時、彼は大学4年で卒業論文制作中でしたが、如何せん、大学へ通えないという始末でした。
その彼のアッシー君をお母さんがやりました。行ったこともない新宿の大学、教授たちが居並ぶ学園の中を懸命に駆け巡って、彼の卒論を教授に届け、又その先生の指示を彼に届けるという離れ技をやり遂げました。立派に卒論提出は完了したのです。
彼女はずっと昔で言う女中奉公で生活してきており、陰での相当な苦労を続けてきました。人の苦労、気持ちが分かる聡明な人です。息子さんの気持ちも十分にわかっていて、精神科医へは連れて行きましたが一切薬を服用させず、彼女の愛情で彼を支え続けました。
その間、彼に生活保護を受けさせてはという意見もありましたが、彼女は毅然としてそれをお断りしました。それを受け入れれば、彼が社会に対して甘えを覚え、人間としてダメになってしまうと考えたのです。
決して裕福ではない生活を家族で必死に支えました。彼は当時2階に引きこもり、朝から晩まで新聞を細かく引き裂く動作を続けていましたが、彼女はそれをじっと耐えきり、ついに彼が立ちあがる日を迎えました。
このお話を涙を流しながら、泣きながら、彼女は自分に話して呉れました。
続きは次回にしましょう。どう立ち直っていったのでしょうか。

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